2011年08月13日

気づけば

また月が。。。

ちょっと欠けてるかな。満月前なのか満月後なのかわからないけど、たぶん満月前。あと1〜2日で満月になるんじゃないかなって気がする。根拠は無いけど、今から満月になる月なんだろうって、ただ、そう感じる。

なんか夜空が気になって上を向く時って、何故か満月の日や、その直前の日が多い。いや、上を向くって言うか、なんか視線みたいのを感じて振り向くと月がいる。オカルトみたいだけど、ホントにそうなんだよね。

疲れた時は満月にしか気づかない。元気がある時は意外と三日月とか、ほぼ新月でも目に入るんだよね。まわりを見る余裕があるのかも知れないね。

ふと気づいて見上げたら欠けていく月だった時って、たぶんなんかリズムが乱れてる時なのかなって思う。
posted by yoshiharu at 02:40| Comment(0) | TrackBack(0) | trip | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月15日

つき

小さい頃から気付いてたこと。俺が同じ方向に向かって歩き続ける限り、月は、常に同じ角度を保った場所にいること。いつ習ったのか忘れたけど、俺の移動する距離なんて、月→俺の距離と比較したらゼロに等しいから、角度は変わらないらしい。まあ、1時間に15度は動くらしいけど、ゆっくり過ぎて差を感じられない。なんか見守られているみたいで、月を意識するようになったのを覚えてる。

最近になってふと気付いたこと。俺が進む方向を変えると月の見える角度が変わること。そんなの当たり前なんだけど、なんか急に気になった。ほんと大したことじゃないんだけど、自分はまっすぐ進んでるつもりなのに月の見える角度がどんどん変わっていって、なんかアレ?って思った。

まっすぐだと思ってた道が、気付かないくらいに少しずつ曲がっていた場合、月が照らしてくれなかったら、俺は気付かないだろうなって思った。たぶん、まっすぐ歩いてない自覚があるから、なんかふと、そう思ったんだろう。子供の時に見守ってくれてた月は、もう無い。
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2011年07月04日

また7月が巡って来た

7月は故秋野豊氏が産まれた月であり、また亡くなった月でもある。まだ存命であれば61歳か。俺らも年とるわけだ。生前の秋野先生のことは4年ちょっとしか知らないし、交わした言葉や共に過ごした時間なんてのは、ほんの僅かしかない。亡くなってから13年近く経ち、なぜか生前よりも身近に感じる。特に、この4年間くらいは、折々、彼の生き方を考える。

素敵に年をとりたい。老いていくことは、少しづつ何かをわかることであり、少しづつ何かを諦めることかも知れない。俺も自分に言い訳しながら、随分と色んなことを諦めてきた。そんな自分を慰めるためには、今を必死に生きるしかない。そんな簡単なことじゃないよ。自分で好きになれる自分でいることは、今の俺にとってはラクなことじゃない。

回り道しながらも、なんとか目指したい方向に向かって歩んでるつもりだったけど、突然、扉が閉ざされてしまった。今の環境は俺にとっては苦行というか修行みたいなもので、その先の道があると思えたから何とかもってたようなものだった。今の自分は何だか他人みたいだ。かなり足下が覚束ない。足を踏み外す前に、何か見つけないと。

誰もヒントはくれない。自分が自分自身を納得させられるか。諦めるのは簡単だし、色々と諦めた方がたぶん健康にもいい。心が欲するものを魂も欲しているのか。身体は間違いなく休息を欲してるよ。
posted by yoshiharu at 02:11| Comment(2) | TrackBack(0) | trip | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月30日

人は成長するのだろうか

電車の中で小さい兄弟を見かけた。弟は兄のゲーム機を使いたくなって、なんかギャーギャー騒いでる。たぶん小学1〜2年生の兄は弟にゲーム機を貸す。長兄の余裕っていうのか、なんか微笑ましい光景だった。

しばらく経って、兄はまたゲーム機で遊びたくなったらしい。弟の持ってたゲーム機を取り戻そうとするが、弟は離さないので、最後は腕力で奪い取る。弟は兄をバンバン叩くが、兄は抵抗せずに叩かせるまま。

兄がゲーム機を背中に隠して、弟の方を向こうとした瞬間、弟の手が兄の目のあたりにヒットした。兄は痛みと怒りで弟の頬を殴り、弟は痛みと驚きで動きを止める。そして数秒後、母に抱きついて号泣を始める。

どこにでもある光景なんだろうけど、例えば10年後に同じ兄弟は18歳と16歳くらいになってるわけだが、同じようにするだろうか。たぶん、経過も結果も変わるだろう。その変化を成長と呼べるだろうか。

右の頬を打たれたら左の頬を出しなさい。あなたを傷付ける人は、あなたより腕力があるかも知れないが、あなたより弱い憐れむべき人であるから、その人を赦しなさい。という教え。。。実は上から目線っぽい。

逆に、先手必勝という教えもある。殺される前に殺すことで平和を維持するが、それは相手にとっては平和でない。。。復讐を是とすることで抑止力効果を期待している教えもある。目には目を、歯には歯を。

人の成長って何だろう?って思う。。。欲しがること自体は悪じゃない。何かが欲しいから頑張る。。。貸すことも悪じゃない。方法によるが、対価として威厳や感謝を得ることが可能だ。

自制して、借りたものはなるべく早く返す。感謝の気持ちがあればできること。。。貸したら自発的に戻されるのを待つ。貸す目的が借りた本人を満足させることであれば良いが、自己満足で貸してたらできない。

腕力で人から何かを奪う人間は、腕力で奪われることを容認しなければならない。そうでないと自分を正当化できない。。。不満を暴力で表すことによって、さらなる暴力を招くことなると覚悟しなければならない。

怒りに任せて暴力をふるう人間は、相手を傷付けることによって自分が何を得られるのか深慮する必要がある。暴力の対価は何か。。。そして、守ってくれる人は、いずれいなくなることを覚悟しなければならない。

くだらないことかも知れないけど、電車の中での兄弟ゲンカを見て、色々なことを考えました。やり方が違うだけで、オトナの社会も兄弟ゲンカと実は本質的に大して変わってないかも。人って成長するのかな。
posted by yoshiharu at 00:19| Comment(0) | TrackBack(0) | trip | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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