2006年07月28日

国家

国家を束ねるモノって、国によって違うんだなって、改めて感じた。
領土だったり、宗教だったり。民族、言語、主義も国を形作る。
なんで国家って漢字にしたんだろう。国と家をくっつけるとは、、、

家族を束ねるものって、もともとは血の繋がりなんだと思うけど、
父と母は血が繋がってないのに家族なんだよね。

だから家族だって、束ねる何かを共有することさえできれば、
家族を形作ることはできるのかも知れない。養子とかも含めて。
血が繋がっていたって家族を形作れない人が大勢いるわけだし。

漠然と、日本を形作るものは民族なんだと思っていたけど、
違うかも知れない。じゃあ何かと問われると、たぶん1つじゃない。
言語は必ず入るだろう。別に日本語だけが特殊なわけじゃないけど。

でも、他にもっと求心力のある何かがある。日本を形作るもの。
別に日本が他国より良いとかじゃないし、比較なんかは意味ない。

ただ、共有する何かがないと、日本をもっと良くしたいとは思いにくいし、
日本を良くできなければ、この星の将来なんて想像することさえ難しいよ。
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2006年07月27日

紙一重

ニュースは他人事のように聞こえる。
床上浸水、土砂災害、強盗殺人、放火。
どれも自分以外の誰かのことだ。
たぶん当事者と他人は紙一重なんだろう。

でも、
銃弾や装甲車なんて、ただの単語だ。
素粒子って単語ほどの現実味すらない。
例えテポドンが飛んで来たとしたって、
自分の家じゃなければ気にならないかも。


阪神淡路大震災ですら遠い出来事で、
ボランティアに向かった友人に対して
かける言葉すら見つからなかった。
俺には想像することしかできない。
posted by yoshiharu at 21:22| Comment(0) | TrackBack(0) | philosophy | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月24日

ルール

自分でルールを決める立場にある人が、自分に不利になるようなルールは作らないよなぁ。
そりゃ、国の無駄遣いも減らないし、その結果として税金だって増やすしかないわなー。

国家歳出を1兆円削減したら500億円あげます!とか言ったら、誰かチームでも組んで、
本気で国家財政の立て直しに取り掛かってくれるんじゃないかな。。。とか思ったけど。
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2006年07月23日

日本

まだまだ日本を知らない。
と、以前から思っていたけど、

最近は、特に強くそう思う。
もっと日本を知りたい。
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2006年07月17日

ベターテニス

"How to play better tennis"

という本があって、高校のテニス部に入った時に読んだんだけど、
これを読んだらテニスが上手くなるってわけではもちろんなくて、
テニスプレイヤー、スポーツマンとしての姿勢について書いてある。

テニスってスポーツは、ゲーム中に相手とコンタクトプレーが無いし、
審判との距離が常に近いし、観客とも会話ができるほど距離が近いし、
他のスポーツと比べるとプレイヤー同士の摩擦が起こる可能性が低い。
だからゲーム中は相手との闘いより、自分との闘いであるとも言える。

この本の著者が教えてくれるのは、良き敗者となるために必要な心構え。
勝負には必ず勝者と敗者がいて、敗者の存在なくして勝者は存在しない。
例えゲームに勝っても、良き勝者として振る舞うことができなければ、
そこには讃えるべきものは無いし、逆に、例えゲームに負けたとしても、
良き敗者として振る舞うことができれば、称賛に値すると言うことだ。

それはつまり、自分との闘いに勝つと言うことで、スポーツの醍醐味って
まさにココにあるんだと思う。精神や肉体の限界を知ることは負けでは
なくって、限界を認めずに、自らの未熟さを擁護するような言動こそが、
自分との闘いに敗れた敗者であり、悪しき勝者・悪しき敗者なのだと思う。

スポーツに限らず、俺も自らに問い続けなければと思う。

"Play better tennis. Play better life."
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2006年07月15日

その先にあるもの

新しい環境に移って3ヵ月半。
慣れるべき部分と、慣れてはいけない部分。

今に執着して、先を見失わないように。
先を見すぎて、今を疎かにしないように。

簡単なようで難しい。
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2006年07月12日

どんなに頭をひねっても

1行だって書くことが思い浮かばない日もある。
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2006年07月01日

大切なこと


自分を欺かないこと。

視野を広く保つこと。

失敗を恐れないこと。
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2006年05月21日

柳絮(りゅうじょ)

景山公園の山頂から眺める北京の風景は、何にも代え難いものがある。夕暮れの北京を一望できるはずだったのに、山頂一帯が封鎖されているのを知り、登ってきた疲労がドッと噴き出した感じがした。まぁ、腹を立てても仕方が無い。中国で生活するには「むやみに腹を立てない」ってのは必須かも知れない。

下山してからバスに乗るのに、また一苦労だった。譲り合いの精神というものは、なかなか普及しないようだ。北京の人に言わせれば「社会性に欠けていてマナーを守らないのは地方出身者ばかりだ」ということになるだろうし、北京以外の人に言わせれば「北京みたいな都市部の住民は自分の都合しか考えてない」ということになるだろう。ま、要するにみんな自分のことしか考えてないわけだ。

こういう時、以前だったら「タクシーで行くか」ってことになるわけだけど、今は状況が変わってきた。今や、そのタクシーを捕まえるのがまた一苦労なのだ。タクシーの台数も増えているはずだが、タクシーを利用する人がそれ以上に増えているのだろう。タクシーは既に金持ちの乗り物ではなく、中流階級の乗り物なのだ。で、金持ちは何に乗るかと言えば自家用車だ。で、その結果、街中が大渋滞&大気汚染。もっと公共交通が増えないとね。

結局、金持ちの乗り物も中流階級の乗り物も乗れなかったので、庶民の乗り物であるバスと地下鉄に乗って友人の家に行く。2002年から03年までの北京滞在中に知り合った日本人で、いちばん心を許した人間だと思う。同い年ということもあって、すごく刺激を受けたし、一緒に楽しい時間を過ごした。彼は身ひとつで北京に転がり込み、現地で就職活動を行ったわけだが、わずか2年ほどの間で、その組織の北京支所所長になり何十人もの部下を束ねる立場に立つようになった。

そんな彼と2年ぶりに会う。その間、お互いに色々と大きな変化があったので、最初は少しぎこちない感じもしたが、すぐに昔のような時間が戻ってきた。そして場所を代え、2人が兄貴分として慕っている老板にも合流していただいて、以前と同じようにひたすら飲む。老板ってのは直訳すればオーナーって感じだろうか。俺が心の拠り所にしていたお店のオーナーこそが彼だった。

真剣な話も、ふざけた話もした。老板にも色んな話を聞いてもらった。俺は確かに北京で暮らしていたってことを強く感じた夜だった。だが、それはつまり、今の俺は北京で暮らしてないんだってことを、強く感じさせられたということでもある。

いま振り返ると、やっぱり終始ぎこちなかったのだと思う。昔のような時間が戻ってきたと感じたのも本当だが、それは全ての話題に通じたわけではない。突然、旅行気分で戻ってきた人間が溶け込むのは難しいはずだよ。だって、北京には北京の生活があり、そこでは時間が流れているんだから。俺のノスタルジーなんか、春の北京に舞う柳絮みたいなもんだ。空中を漂ってるのを遠くから見れば雪のようにキレイだが、近くにあれば邪魔なだけだし、地に着いてみればただの汚れたワタボコリに過ぎない。

すっかり忘れてた。以前に旅行で来たときも同じことを思ったんだ。俺ってやつは本当に学習能力がない。「旅行で北京に来ると余計に寂しくなるから、次に来る時は旅行ではなく、住むために北京に来たい。」って、前回も全く同じことを思ったんだった。
posted by yoshiharu at 15:26| Comment(0) | TrackBack(0) | philosophy | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月18日

北京の五海

楽しく酒を飲んだ翌日は、前日に続き昼近くまで寝ていた。って言うか、この家の客用ベッドは寝心地が良すぎる。メーカーを聞くのを忘れたが、マットレスを買い換えるときには必ず聞きたいところだ。名残惜しい気持ちを抑えてベッドを脱出し、この家の主である友人夫婦(+赤ちゃん)と俺夫婦、俺の友人というメンバーでランチをした後、友人達とは別れてバスに乗り后海を目指した。

后海って言うわりには海ではなくて、ただの池なのだが、北京の人々の憩いの場所になっている。ここ数年は有名になって観光客が多いので、あまり憩うこともできないようだが、もともとは爺さんや婆さんが三々五々あつまってきて、青空麻雀や青空囲碁、青空トランプなどを楽しみ、夕暮れになると恋人達が集まってきて、池べりの木陰で愛を囁きながら体をすり寄せ合うような場所だった。。。らしい。

この日はと言えば、どこを見ても人・人・人。中国もGWなのだ。爺さん達が隅っこに追いやられつつも、しぶとく麻雀などしていたが、とても憩いの場所という感じではなかった。夕刻になるとどうなるのかはわからないが、あの人波が途切れないのだとすれば、あそこでは愛を囁くことはできても体をすり寄せ合うのは難しいかも知れない。

后海の「后」はウシロという意味だ。と言うことは前海もある。前海と后海の間には銀碇橋という橋がかかっており、その下は細い水路でつながっているので、池に浮かんでいるボートも行き交うことができるはずなのだが、実際にはそう簡単にはいかない。なぜなら、最近の中国人民は公共の場所で「譲り合う」ことが非常に苦手だからだ。中国で地下鉄やバスに乗ったことのある人ならわかるだろう。案の定、ボートは前海と后海の間の水路で大渋滞を起こしていた。

北京市街地には前海と后海の他に、まだ3つの海(池)がある。それらは北海、中海、南海と呼ばれており、そのうち中海と南海を合わせて「中南海」と称する。聞き覚えのある人もいるかも知れない。中国の国家主席が居を構える場所こそが中南海だ。もちろんボート遊びはできないし、中南海には近寄ることさえ許されていない。ただし北海だけは別で、北海公園として一般に公開されている。前海や后海と違うのは、北海に行くには公園の入園料を払わなければならないという点だ。

で、テクテク歩いて景山公園を目指した。景山というくらいだから、とりあえず山らしきものがある。一般的には丘と呼ばれるべきものだが、北京市街地はひたすら平地が広がっているので、この程度の高さでも充分に「山」と呼ばれるだけの貫禄は感じさせる。この山の山頂からは、ラストエンペラーで有名な故宮、つまり紫禁城が一望できるはずなのだが、、、残念なことに工事中で山頂には行けなかった。GWの真っ最中に観光名所を工事するとは。。。無念。

話が全然すすまないが、そろそろ北京滞在における最後の夜が迫ってきた。それはすなわち、俺が北京で感じていたノスタルジーと、北京に生活する人々のリアリティとの隔絶を、俺が実感させられる時が迫ってきたということでもあった。
posted by yoshiharu at 00:28| Comment(0) | TrackBack(0) | philosophy | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月15日

労働節=メーデー

旅行を始めて二日目。地下鉄とタクシーを乗り継いで北京市中心部から東へと向かい、目的地の定福庄に着く。三年前と比べると、やはり開発の波が郊外へと急激に押し寄せていることがわかる。イメージ的には(東西が逆だが)東京の国立市あたりだろうか。

目的の建物に辿り着き、階段を登りドアを開けると、まるで先週も一緒に飲んでいたかのような自然さで迎えてくれた。この部屋の住人は北京生活15年ほどになる日本人男性で、俺が出会ったときは翻訳家として働いていた(はずだ)。中国人の翻訳家が束になって取り組んでも適わない速さと正確さで、中国古典を次から次へと翻訳していた(気がする)。彼と出会ってから、もう8年以上が経過している。

今は中国の大学で日本語を教えていると聞いていた。そういえば、この日はメーデー「労働節」で中国全土が休日であり、教え子が恩師である彼に会うために集まるというので混ぜてもらうことにする。そこでは、いかに彼が生徒達から尊敬され、愛されているかを思い知らされた。彼がこれからの一生涯でどれだけの中国人に日本語を教えていくのかはわからないが、その教え子達の何人かは間違いなく将来の日中の架け橋になっていくだろう。

彼のすごさを書こうと思ったんだけど、今の俺の文才ではうまく表現できない。。。彼は年上だからと言って上からモノを言わない。かと言って主張が無いわけではなく、確固とした自分の意見をもっている。また、彼は質問がうまい。そして、俺の言うことを真剣に聞いてくれるし、俺すら気付いてなかった俺の考えを引き出してくれる。彼は人を肩書きや性別、年齢で区別しない。そして、何より彼の知識量はすごい。また好奇心も底知れず、新たに得た知識もすぐに身につけてしまう。

うーん、ちょっと誉めすぎたな。ただの酒好きなオッサンでもある。そんなオッサンと久しぶりに飲むことができて幸せだった。もうちょっと話したかったけど、昼の3時くらいから夜11時まで飲み続けて話し続けた。思い出話なんかしないし、オッサンにありがちな話の繰り返しもない、ひたすら新しい話題で、しかも脳細胞がよく動く感じの会話。表面的な話題なんて一切ない。本当に素敵な時間だった。気分の良い酒だった。
posted by yoshiharu at 22:59| Comment(0) | TrackBack(0) | philosophy | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人生を変えるほどの

一人一人、例を挙げていくまでもなく、俺の友人は本当にスゴイやつが多いと思う。カンヌ映画祭とか、Blue Note, New Yorkとか、前回はそういう固有名詞をあげてしまったけれど、もちろんそれは本質ではない。彼らはたまたま、人をEntertain(楽しませる???)することを仕事としているから、そういうCelebrity(知名度???)みたいなものが尺度の1つになるっていうだけだ。他人からどういう評価を受けるかってことは、本質には関係ない。

自分の好きなことを好きなだけやってるやつ、好きじゃないけど必死になってやってるやつ、好きなことを見つけるためにがむしゃらになってるやつ、守るべき大切なものを見つけたやつ、遊ぶことに一生懸命なやつ、、、俺の友人は本当にこういうやつばっかりで、自分のモノサシを持っているところが素敵だと思う。北京やワシントンDCで出会い、今も仲良くさせてもらっている人達も、やはり自分のモノサシを持っている。これからも大切にしていきたい。

俺自身が、ずっと他人のモノサシで自分を測ることしかできなかった人間だった。人と違うことをすることで自分の位置を確認してたんだと思う。でも、他人がいて初めて「違うこと」をできるんだから、それはやはり他人のモノサシから離れられてないことなんだよね。本当の意味で、俺が自分のモノサシを持ち始めたのは、ある人に北京で出会ったことがきっかけだった。今回の北京訪問では、その人と3年ぶりに会った。短い時間だったけど本当に濃厚な時間だった。会いに行って良かった。

腰を据えて旅行記の続きを書く時間がとれませんでした。
申し訳ありませんが、今日はとりあえずこれで。
posted by yoshiharu at 00:05| Comment(0) | TrackBack(0) | philosophy | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月08日

初めての場所

旅に出ると、何かしら刺激を受けることが多い。特に初めての場所は。

そして刺激を受けると、何かしら感じたり考えたりすることが多い。

まぁ、書き留めておかないと、忘れてしまうことも多いんだけれども。


今回は、旅と言うには旅程が短かかったし、正直いって、帰りの切符がかなり重かった。

その日に泊まる場所どころか、帰国する日も決まってない旅は、しばらくできないだろう。

でも今回の旅行では初めての国を2つ訪れ、今までとは違う風景が見えたような気がする。

感じたこと考えたこと全てをblogに書くことはできないが、少しづつ書いてみようと思う。
posted by yoshiharu at 22:32| Comment(0) | TrackBack(0) | philosophy | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月30日

人を選ぶ2

◆直属の上司になる人との面接
これは好き嫌いが大きく関わってくる。無理して取り繕って
採用されたとしても、両者にとって不幸な結果になるだろう。
一方、もし人事部の人間が「好き嫌い」で人を選ぶとしたら、
その会社にとっては不幸なだけでなく不利益だと思うけど。

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posted by yoshiharu at 00:11| Comment(0) | TrackBack(0) | philosophy | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月29日

人を選ぶ1

● 面接に際して考えたこと ●

引き続き、就職活動を通じて感じたことや考えたことについて。

エントリーシートとかについては、俺も随分と悩んだけれど、
入りたいと思える会社さえ見つかれば書けるんじゃないかな、
って思うようになったから、とりあえずBlogでは省きます。

で、面接する相手は、大きく分けて3種類だと思います。
改めて断るまでもないけど、これは俺の個人的な感じ方だし、
別の感じ方をする人がいたとしても、全く不思議じゃないです。

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posted by yoshiharu at 15:09| Comment(0) | TrackBack(0) | philosophy | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月28日

会社を選ぶ

● 就職活動を通して学んだこと ●

一番大切なことは、当たり前だけど、入りたい会社を見つけること。
でも、正直言って、これってスゴい難しいことだと思う。
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ちなみに、学生や院生が初めて会社に入る(新卒の)場合の話です。
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そもそも、世の中には知らない会社がゴロゴロあるわけで、
接触の機会が無い女性とは恋愛できないのと同じように、
そういう会社には就職したいと思うことさえできない。

勝手な思い込みでもいいけど、大好きな女性がいるとして、
その女性とつきあえるかどうかは、正直わからないよね。
つまり入りたい会社があっても、そこに入れるとは限らない。

確かにその通りなんだけど、それでも入りたいと思えるか。

実際、俺は一度「不採用」になった会社に再応募して、
見事(←自分で言うことではないが)採用された。
フラれたけど諦めずにアプローチして射止めたってことか。

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posted by yoshiharu at 22:35| Comment(0) | TrackBack(0) | philosophy | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月24日

こんさるてぃんぐ

外部から来た人間だからこそ言えることってのがあるから、
コンサルタントっていう職業があるんだなぁ。

しがらみが増える前に、色々と言ってしまったほうがいいのかなぁ。

まずは、それぞれのキャラクターとパフォーマンスを把握しないと。
posted by yoshiharu at 20:03| Comment(0) | TrackBack(0) | philosophy | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月22日

ヤシナウ

会社は、一部の人間が大きな利益を上げていて、
他の人間を養っているようなもんだと聞くけど、
会社に入ってみて、マジでそうだと思う。

もちろん今の俺は養われる方。
早く養う方にならないとな。
posted by yoshiharu at 23:31| Comment(6) | TrackBack(0) | philosophy | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月19日

にゅーろ・えこのみくす

経済学と脳科学が協働することで、新たな成果を生み始めているらしい。

神経経済学、つまりニューロ・エコノミクスの誕生は、わりと最近だ。

例を紹介すると、行動経済学は利得と損失が同じ大きさであっても、
人々は損失のほうをより強く感じていることを明らかにしている。
脳科学分野の研究で、幸福と不幸に対して脳の反応部位が違っていれば、
その評価が違うのも当然だと理解することができる。←日経新聞の受け売り。


理系・文系という定義を見直さないと、色々な可能性を見逃してしまう。
社会科学=文系、自然科学=理系という枠組の果たす役割は少なくなった。
posted by yoshiharu at 23:21| Comment(0) | TrackBack(0) | philosophy | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月17日

その先へ

まだ知らない世界を経験すること。

そこにはガッカリとビックリがある。
posted by yoshiharu at 22:14| Comment(2) | TrackBack(0) | philosophy | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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