2005年11月05日

他人にとっての悲劇

悲劇って言葉からは、自分とは離れた場所で起きてる出来事って
いう感じがする。悲劇そのものは自分に対する危機ではない。

2日前に少し書いたけど「オオカミはこっち側には来ないはず」
だと思っているんだよね。HIV/AIDS?マラリア?日本脳炎?
全部「そっち側」の話だから、現実味が無いんだと思う。

って言うか、俺自身だって全く現実味が無い。
どうやったら現実味が生まれるんだろう。

蚊帳を送りましょう!って言われても、蚊帳も見たことないし。
寄付してくれって言われても、今の俺にはそんな余裕はない。
IT長者とか呼ばれる人達は、余裕はあっても現実味が無いから、
スポーツカーは予約できても、貧困撲滅への寄付はできない。

1999年の台湾地震の時は、自分が1ヶ月前に泊まったホテルが
全壊したこともあって、悲劇への現実味が十分にあって、
しかもお金に少し余裕があったから、かなり寄付をした。
あのお金は有効に使われたんだろうか。まぁ、そう願おう。

でも地球上の全ての悲劇に対して現実味を感じるのは難しい。
だからこそ、ブラウン氏はこう言っているんだと思う。

「アフリカの飢餓は、あなたにとっても危機ですよ。
 中国とインドの経済発展で、あなたの食べ物まで
 無くなってしまうんですよ。しかも近い将来に!」

他人にとっての悲劇は、自分にとっての痛みではない。
でも、他人にとっての悲劇は自分への危機かも知れない。
少なくとも、自分の危機と無関係だと断定はできないかな。


最後に、
ちょっと本題とはズレるんだけど、ブラウン氏の講演で感じたこと。

最後の30分は会場の人からの質問を受け付けるコーナーでした。

いやー、いるんですね。活動家って言うんでしょうか、アレ。

ブラウン氏は遺伝子組み替え作物が良いとも悪いとも言ってないのに、
あーだこーだ言ってました。で、聞きたいことは何だったんでしょう。
自分の意見を聞きに来てくれる人がいないからって、他人の講演を
利用して自説を展開するなんて、、、説得力90%オフだっつーの。
posted by yoshiharu at 19:31| Comment(3) | TrackBack(0) | philosophy | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
他人の肥満を見て自分の食生活を変えることはあるよね。それは悲劇(自分にはそう見えるだけかもしれないけど)が危機感に直結している場合かもしれない。犯罪を知って自己防衛の意識を高めるのもそう。

で、環境問題って当事者意識すらないのではないか?だから対岸どころか自岸での火事にも気づいていないんじゃない?中国とインドの経済発展は中国とインドは本当のところで問題視してるの?海面上昇についてバングラデシュで説いても、CO2削減の声は上がるのでしょうか?

そんなことを考えると、結局アフリカの食糧危機、中国、アメリカの水不足などは極論すると当事国の問題でしかない。日本の危機はもちろんそれに連動するわけだけど連動することなく自給自足へ意識を高めれば未然に防げるかもしれない。自分たちだけは助かるかもしれない。この欺瞞的かもしれない「自己防衛」意識からしか危機感は生まれないのではないかとも考える自分がいます。

宇宙船地球号は沈むことはないけど日本丸は沈むかもしれない。中国、インドが沈んでも日本は沈まなければとりあえず僕やその家族はOKなんです。だめかな、これ。
Posted by at 2005年11月06日 19:20
関心を維持したいのでworld visionとかやってるよ。
毎月僕の口座から自動引き落とされてアフリカの里子のコミュニティの教育や自立資金に送金されてる。ま、動機的には最近流行ったホワイトバンドの自己満足と大差無しで、ある意味偽善者なのかもしれないけどさ。

でも、定期的に子供の手紙や活動報告が送られて来て、実情を知ったりconnect, commitしてる意識を持てたりして、自分の国際社会に関与したい内的圧力への精神ケアにもなってるかなー。(あくまでも僕の自己満であって、奨めてる訳では無い)


#そう。活動家には礼儀知らずというか、あえて非礼と知りつつも自分たちの利を通す人がいますよねー。で、その行為が自分達の成した労力をもマイナスに返してる。ゲーム理論とかマーケティング理論とか非唯物史観の経済原理も学べばそういう過ちは減るかもなと思った。
Posted by く at 2005年11月07日 11:31
> 学さん
俺の伝えたかった「悲劇」ってのは、まさに例に挙げたようなマラリアとかのことなんだよね。http://logistics.seesaa.net/article/8346741.html
↑前にクマ被害について書いた時にもコメントで触れた「俺には現実味が無いけれど当事者にとっては危機的なこと」ってたくさんあるよね。この点で肥満は該当しない。犯罪に関しては該当するかな。考えるべきは自己防衛だけでなく犯罪発生件数の削減だと思うけど。

「俺自身だって全く現実味が無い」って書いた通り、悲劇は悲劇でしかなくって、それは劇なんだよね。俺は観客。それを如何に自分自身の危機と結び付けて考えられるのか、そしてその危機意識から行動や選択を行っていけるのか、それを掘り下げて考えたいと思ってる。表現の方法が違うだけで、学が書いていることと同じことだと思うけど。

自己防衛の意識から危機感が生まれるっていう意見も、その通りだと思う。自分だけは巻き込まれないっていう高台に立ちながら苦境にある人々に施しをするのと、このままでは高台にも水が迫ってくるだろうと思いながら寄付をするのは違うでしょう。

日本だけが家族だけが助かればいいっていうアプローチ。。。間違ってないような気がする。そのアプローチで行けば、きっと隣人も助かるような解決策を考える必要が出てくるんじゃないかな。自分が助かることが最優先だけど、そのためには隣人も助からなければならないってことが多いと思うから。

> くさん
コメントありがとうございます。
自己満足や偽善という言葉については、私はどちらかと言えば肯定的に捕らえています。そもそも自己不満足な状態は良くないと思うので、自己が満足することは大前提であり、その上で何があるのかってことですよね。偽善者っていう言葉も、イメージだけが先行している感じがします。他人の評価を気にしなければ、自分が良いと感じることをするのに、自分自身を言葉で制限する必要は無いような気がします。

少なくとも今は、自分が変わることを考えています。コンビニのビニール袋とか暖房の温度とか身近なことに関して、どうすれば「自然に」行動できるようになるんだろう。現実味がもっと増さないと、そういう行動が(自分自身の中で)不自然な気がするんです。

活動家については書きたかったことは、まさに、くさんが書いて下さったようなことです。ありがとうございました。
Posted by よしはる at 2005年11月07日 18:47
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