2005年07月14日

守るということ

たぶん歴史のなかで幾千万人もの人が考えてきたことなんだろうけど、、、

人類の歴史では、何かを守るために命が失われたり、
今までもしてきたし、今もしているわけじゃない?

守る必要がある時っていうのは、その大切な何かが
失われそうになっている時ってことだよね?

ってことは、その何かが奪われそうになっているか、
もしくは壊されそうになっているってことでしょ?


たとえ充分にモノがあっても、収奪者や破壊者は存在するんだろうか。

モノには量があるから、量の多少によって格差が生まれ、
いずれにしても収奪者というのは生まれてしまうのかも。


でも、破壊という行為は少し違って、より精神的な気がするんだよね。

精神的な満足には量は関係ないから、たとえ同じ状況でも
飢えていると感じる人と満足していると感じる人がいる。

他者の持つ精神的な満足に嫉妬を覚えるのか、それとも、
他者に対しても自分の精神的満足の基準を強制したいのか。


結局、どんな世の中にも収奪者や破壊者は存在するってことなのかな。
そして、大切な何かを守るために、これからも血は流されるのかもね。
posted by yoshiharu at 16:55| Comment(2) | TrackBack(1) | peace | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なんかまじめなことかいてるな・・・

どした?ふられたか?そーならわしの職場来い(・∀・)ノ
Posted by uenoksk at 2005年07月14日 19:20
何かを守るために死ぬということについて考えたのです。たぶん、最近ひさしぶりに読んだ小説(終戦のローレライ)とか、電車で読んだマンガ(バカボンドと蒼天航路)とか、一週間前のロンドンの連続テロとか、色んなことが絡み合ってる。

ロンドンの連続テロでね、実行犯の青年は最期の瞬間に、きっと神を讃える言葉を口にしただろうね。家族と同居だったみたいだけど、前夜の夕飯は何を食べたかな。最後に会った友達とはどんな話しをしたかな。

彼等の死は覚悟の死だけど、被害者の方々の死は突然の死だね。最期に神に祈った人っているかな。妻や子、夫、母、父、恋人の名前を心の中で呼んだかな。ベッドに置きっぱなしにしたエロ本が頭をよぎったかな。


なんだか、悪いニュースに慣れてしまって、誘拐殺人には驚かないし、紛争なんて言葉より敵対的買収って言葉の方がずっと刺激的だったり、核実験よりもインリン・オブ・ジョイトイの方が危険だったりする世の中で、守るべきものって何なんだろう。

何かを守るために死ぬことはできないけど、何かを守るために生き続けたいと思うんだよね。
Posted by よっちゃん at 2005年07月15日 13:11
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一憂一喜
Excerpt:  考えながら進んでいるのは友人たちも同じである。が、眠気に屈して体を休められるあたり小生の考えには根っこの生え方が足りない。一概に一緒にするなとどこからか聞こえる朝。
Weblog: - 毎日が「自然農」- インチキ百姓的生活日記
Tracked: 2005-07-18 06:54
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