2006年02月19日

悲しみ

悲しいニュースが毎日のようにある。

ムハンマド風刺画、滋賀の幼児殺害。いずれにしても
他者の痛みに対する想像力が欠如しているんだと思う。

津波、地震、地滑り。。。天災も次から次へと起こる。
遺族の気持ちを想像するだけで、マジやるせない。

悲しみよりも喜びが多い惑星であって欲しいと思う
・・・ので、俺はなるべく悲しまないようにしよう。

いや、違うな。それじゃ何の解決にもならないか。
俺に出来ることは悲しみを忘れないことかも知れない。
posted by yoshiharu at 21:12| Comment(6) | TrackBack(0) | peace | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
本当に、毎日悲しいニュースが多いですね。
滋賀の事件も、相当精神的に正常ではない状態に
陥ってしまっていたのではないかと。
何度も刺すのは、そういう状況に耐えられない加害者が夢中になってやるからだと犯罪心理学の
人が書いていました。
被害者の子供達も、遺族も、加害者の家族も
気持ちを思うと本当に痛ましい事件ですね。



Posted by mako at 2006年02月20日 22:43
makoさん コメントありがとう。

身近な悲しい事件。日本国内でおきる悲しい事件。
海外起きる悲しい事件。どの事件にも当事者がいる。

俺自身にも悲しい事件は起こるけど、俺が当事者になるのは、
幸いなことに今のところ大したことない事件ばかりだし。

当事者の気持ちになるのは難しい。想像するしかない。
いかに俺が恵まれてるかって、すごく実感させられるよ。
Posted by よしはる at 2006年02月21日 18:32
人の痛みって、それよりずっと些細な痛みを
自分が感じて初めて、あぁこんなに辛かったのかって
分かりますね。
Posted by mako at 2006年02月22日 00:38
喜びって共有しやすいと思うけど、もしかすると
悲しみってのは共有しにくいのかも知れない。
Posted by よしはる at 2006年02月22日 14:19
最近、「悲しみは共有しにくい」ってことを深く考える場面が多々あります。
そんなときに、このフレーズが綴られていたので少し驚きました。
とはいえ、私の悲しみというのは、身近で些細なことばかりですが…。
例えば、悲しみの理由を理解してほしいわけでもなく、解決方法を探ってほしい訳でもなく、なぐさめの言葉をかけてほしい訳でもなく。
ただ悲しい感情をもった心に気づいてほしいとか、見てほしいとか、感じてほしいとか、他人に求めてしまう。
でも、これって相手に対する‘押し付け’でしかなのかな、、、とか考えてしまうのです。

Posted by いちじく at 2006年02月25日 14:37
> 他人に求めてしまう。
その他人が、特定の誰かを指しているのであれば、
それは押し付けではないと、個人的には思います。

ただ、自分がどんな時に悲しみを感じるのかとか、
どんな言葉に傷つくのかとか、そういうものを
相手に伝える努力は必要だと、私は思います。

そして、そういう時には理性的な行動を取れるとは
限らないこと;言葉をかけて欲しい時もあるし、
放っておいて欲しい時もあるし,ということなどを
理解してもらうよう、私は努力してるつもりです。
Posted by よしはる at 2006年03月02日 15:15
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